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ボンビーな生活

自慢ではないが実家はめっちゃ貧乏。
両親共働きだけど、兄弟3人とも高校までしか行ってないし、
(まぁ小生はは自力で専学行ったけど)
お風呂は2日に1回だしプレゼントの類はないし・・・。
おかげで貧乏根性が体の隅々まで染み付いている。

ビンボーの理由として考えられるのは、
・貧農の家系(祖父母とも万屋の奉公人?だったらしいが、
農業に転向した模様。歴史が浅く実は謎に包まれている)
・扶養家族が多すぎ(母、子供3人、祖父母で合計6人)
・農業で機械化貧乏(農業機械は車より高い)
・給与が少ない(地域格差?学歴格差?努力不足?)

元々ビンボーなんだから子供もビンボーの道を歩むしかない、
って言ってしまうと身も蓋もないが、このご時世低年収だと
公立の学校にしか行かせられないから格差はますますひろがる一方だと、
マスコミは騒ぎ立ててる。(一理あるとは思うが)

でもいちばんの問題は無駄な出費と必要な出費の切り分け。
「農業の機械化は必要経費なのに子供の教育費は無駄金。」

「ちょっとそれはおかしいやろ」と糾弾してこなかった自分が悔しい・・・。
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バベルの塔

ハト時計が理想とする世界。
それは「調和最優先・自我抑制」という
一つの価値観によって支配された世界。
その価値観にしがみついておけば
お互い争いあわないし、何も恐れるものがない。
そしてあたかも強い絆で結ばれているように過信する。
本当は今にも引きちぎれそうなのに・・・。

実はハト時計の理想にそっくりな世界が旧約聖書に登場する。
誰でも耳にした事のある「バベルの塔」のくだりだ。
「もともと人々は同じ1つの言葉を話していた。
シンアルの野に集まった人々は、れんがとアスファルトを用いて
天まで届く塔をつくって、全地のおもてに散るのを免れようと考えた。」

塔に居つき、同じ一つの言葉(=価値観)を話していれば
お互いのことは全てまる分かりだから、
決してバベルの塔から疎外されることはない。
なるほど、安全だ、平和だ。文句何一つ出てこない。
ところが聖書に出てくる神々はそれに疑問を感じたようだ。

「神はこの塔を見て、言葉が同じことが原因であると考え、
人々に違う言葉を話させるようにした。
このため彼らは混乱し、世界各地へ散っていった。」

ハト時計は神の仕業を快く思っていないのかもしれない。

ハト時計のハトは飛び立てない

ハト時計のハトは大空に飛び立てない。
定刻を告げればまた時計の中に引っ込んでしまう。
延々とそれを繰り返す。

昔から親の言うことをよく聞く子供だった。
(いや、演じてきただけなのかもしれない。)
嫌な事があっても嫌と言わず、
年長者(兄含む)の言うことはよく聞き、
周りに迷惑をかけないよう控えめで、
目立たないように生きていた。
いい子でいれば親も先生も近所の人も怒らない。
むしろ褒めてくれる。
「いい子供=御しやすい子供」
それが正義だと思っていた。

ただそれは大人の世界では通用しないことが分かってきた。
表面上はそれでも通用するかもしれない。
(上っ面だけよければいい、という価値観であればそれでいいのかもしれない)
っていうかまったくうまくいかない。
相手も同じ「いい子供」あるいは「いい子供を認める人」とは限らないだ。

「いい子供」は「いい大人」になれても「立派な大人」にはなれない
ハト時計のハトが大空に飛び立てないのと一緒。
カラスに狙われるのが怖いから飛び立たないのか?
それでは火事が怖いから火を使わないのと一緒。

そして「いい子供」は「尊敬される父親」には絶対なり得ない。

父親としての準備

妻のお腹も大分大きくなり、はや妊娠9ヶ月。
着々と出産・育児用品の準備を進めているところです。
ところがまだまだ準備の足りていないものがある。
それは「父親としての精神的な準備」。

子供が生まれていないのだから、親としての成長がどうのこうの
言える状況ではないのかもしれないけど、日に日に母親になる
自覚を深めている妻に比べると、不足感(焦燥感?)を感じる。

いくら実際の家事や育児が母親と同程度こなせたとしても、
父親としてやらなければならないことは別にあるはずで、
その部分の自覚が非常に欠けているようだ。

ただ今の自分には「父親としての精神的な準備」を始めるにあたって、
打ち破らないといけない壁がある。
「扱いやすい子供から脱却」という壁

詳しくは次回の雑談にて・・・

旅人とハト時計

某旅人:「全体の調和と個人の幸せどっちを取るかね?」
ハト時計:「そりゃあ決まってる、全体の調和だろ(エッヘン)」
某旅人:「ほう、理由を聞きたいな?」
ハト時計:「自分は全体のためならなんでもガマンできるし文句も言わない。
だからガマンできず文句を言う人が秩序を乱すのが怖いの。
この世の全ての人が自分みたく自我を捨てて献身的な態度になれば
絶対に争いは起らないと思ってる。絶対に平和なはずだ。」
某旅人:「自分が幸せになれなくてもいいの?」
ハト時計:「争いがなければ幸せはいらない。いや、争いのないことが幸せそのものだよ。」

某旅人:「じゃあ最後に聞くけど、全員平等に不幸であっても平和であればそれでいい?」
ハト時計:「うん、それでいい。全員平等に不幸という事実で満足できる。
全員平等なんだから争いの起こりようがない。
逆に聞くけど、自分が幸せなら全体が平和でなくてもそれでいい?」
某旅人:「自分が幸せだったら他人なんかどうでもいいよ。
ってかみんな平等に幸せになれる権利があるだろうが」



彼らの禅問答は終わらない・・・

都こんぶ

99shopで売っている3個パックの都こんぶ。これ超オススメ

量は大したことないけど、あの独特の酸っぱさがやみつきで、昔から大好物です。
ん、オジンくさい?ほっとけw

嫌われたくない

他人からのプラス評価の中でしか生きられないハト時計。
もっぱら「嫌われたくない」という思いが人いちばん強い。

こんな公式を常に頭の中に思い描いている。
・人から嫌われる=自分の価値がない=この世(人生)の終わり
・人を嫌わない=人を攻撃しない=不平不満を言わない
・こっちが攻撃しない=相手も当然攻撃してこないはずだ。

そして無意識のうちに相手に自分と同じ価値観を抱くことを求めている。
「何も不平不満言わないからそっちも不平不満ぶつけないでね」
「みんなことを嫌わないからみんなも自分のことを嫌わないでね」
「お前を大目に見たるからワシのことも大目に見ろや」

所詮自分自身を守るためでしかない、のかもしれない。
相手が攻撃してきたらこっちが攻撃していないのに何故攻撃する?
そんなの傲慢不遜だワガママだ!!!と被害妄想に陥る。

≪「傷つけないから傷つけないで」という軟弱な精神が鼻につく≫
2ヶ月ほど前のSPAの特集記事にこんな言葉が載っていた。
図星すぎてハト時計は沈黙せざるを得なかった。

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胸が痛い!!

昔からのことだが、時々胸の辺りが痛くなる。
何の前触れもなく突然キリキリと痛くなるからびっくりする。
心臓に問題があるのかと思いきや、毎年受けている
健康診断の結果を見ても、心電図に異常はない。

ネットで調べてみたら意外なことが分かった。
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狭心症・・・働き盛りの方に多い病気で、特に管理職や頭脳を
酷使する方、ストレスが多い職種の方に多く発生します。
あまりにも胸が不快で循環器内科に行ったとします。
医師は心電図をとります。しかし心電図には異常が出ない。
「気のせいでしょう」なんて答えが帰ってきたら
本当に辛いもんですね。実は痛みが出ている瞬間しか
心電図で発見出来ません。
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発症しているときに検査しないと分からないってこと?
でも健康診断の時に限って痛くないしなぁ・・・。
痛くなる傾向がいまいち分からないので診断のしようが
ないのでは?

まぁいい、今度の健康診断でちゃんと相談してみよう。

金の斧[某旅人Ver]

ハト時計の話に疑問を感じた通りすがりの某旅人が
金の斧の話をアレンジしました。

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あるきこりが斧を池に落としてしまい嘆いていました。
すると女神が現れて「貴方が落としたのはどの斧?」と
金の斧、銀の斧、ボロい斧を見せました。
「私が落としたのはそのボロい斧です。
どうか返していただけないでしょうか」
女神は顔をしかめ、こう言い残して消えました。
「貴方のような腹黒い人間に与える物などない」と・・・。
きこりは自分のボロイ斧さえも失ってしまいました。

別のきこりも同じように自分の斧を池に落とすと
同じように女神が現れてどの斧かを聞いてきました。
「わしが落としたんはそのボロイ斧や。
せやけどわしが欲しいんはその金の斧や!はよ寄越せ」
女神は一瞬顔をしかめ、こういい残して消えました。
「貴方は欲深いけれど自分に正直ね。」
きこりの手元には落としたはずの斧がありました。
-----------------------------------------------

ハト時計「どうして最初のきこりは正直に言ったのに斧を返してもらえなかったの?」
某旅人「きこりは最初から金の斧と銀の斧が目当てで、謙虚な人間を装ったんだ。
こうやって下手に出ればもらえるだろうと。
女神はその卑しい発想に怒ったの。」
ハト時計「・・・じゃ、どうして次のきこりは自分の斧を返してもらえたの?」
某旅人「自分に正直だったからだよ。さすがに褒められるような
態度じゃなかったけど、少なくともそこに打算はなかった」
ハト時計「・・・・・・」

ハト時計「でも結局金の斧はもらえなかったじゃないか」
某旅人「金の斧なんてもったいなくて使えねーダロ!!!!」
ハト時計「いいよ、ヤフオクで出品するから」
某旅人「女神に殺されなさい」

金の斧[ハト時計Ver]

誰でも馴染みのあるであろう「金の斧」というイソップ童話。
正直者が得をし、不正直な者は損をするという話だ。

これをハト時計が独自にアレンジしてみるとどうなるだろう?

-----------------------------------------------
あるきこりが斧を池に落としてしまい嘆いていました。
すると女神が現れて「貴方が落としたのはどの斧?」と
金の斧、銀の斧、ボロい斧を見せました。
「私が落としたのはそのボロい斧です。
どうか返していただけないでしょうか」
女神はその正直さに感心し全ての斧をきこりに与えました。

別のきこりも同じように自分の斧を池に落とすと
同じように女神が現れてどの斧かを聞いてきました。
「わしが落としたんはそのボロイ斧や。
せやけどわしが欲しいんはその金の斧や!はよ寄越せ」
女神はその欲深さに激怒してそのまま消えてしまいました。
-----------------------------------------------

ハト時計はこの寓話の意図するところを解説しました。
「いかに謙虚で控え目な欲のない人間が素晴らしいかということ。
自分の欲に正直な人間は傲慢不遜で取るに足らない。
だから自分の感情(=欲)に正直なことはいけないんだよ」

へーそうなんだぁ~・・・でもちょっと待てよ、少々疑問が残る。
それは次回へ

ロボット

ロボットに感情はない。
与えられた作業を正確に淡々とこなすだけ。
それが己の存在意義であると信じて疑わない。

油が足りなくなって歯車が軋んでも気にしない。
自分で痛みを感じることができないから。

隣のロボットが壊れても気にしない。
他人の痛みを感じることが出来ないから。

それでも休むことなく延々と作業をこなす。
やがて煙を噴出し、火花を散らして沈黙する。

ロボットはロボットなりに一生懸命頑張った。
ガラクタとして処分されることも厭わずに。

捨てられる瞬間、ロボットはこう考えた。
己の存在価値を十分に発揮して生涯を全うしたと。

けれど・・・

誰もその生き様をを褒めてくれるものはいない。
誰もその死に様を悲しんでくれるものはいない。


ハト時計はロボットに似ているのか?
自分の感情さえろくすっぽ分からないくせに、
他人の気持ちを理解しようなんてまず無理。
ハト時計が定刻を知らせるためにいくらかわいい声で鳴いても、
悲しみに打ちひしがれている者の心にその声は届かない。

自分がいい人間だと思ってた?なんて、アホらしい・・・。

東西の違い?

関西から関東に出てきて「ちゃうなぁ」と思ったことがある。
それは重んずるものの違いだ。
あくまで私見にすぎないがお店や人、物を選ぶ際に
西は人当たりの良さ、腰の低さ、サービス精神、フレンドリーさ、
東は客観的な内容、話の筋、格式、堂々とした態度、ぶれない意志
を重んじているように感じる。

逆に言えば
西は愛想のない客を低く見た偉そうな殿様商売を軽蔑し、
東は節操のない商売根性みえみえの営業スマイルを軽蔑している
ともいえる。

殿様商売で思い出したが、東は鎌倉の昔から「武士」、
西は「公家・商人」の社会だった。
その名残が今でも残っているのかもしれない。
まぁ細かい学問的な解説は風俗学者等にお任せした方がよかろう。

ハト時計流人間関係の築き方

ハト時計も決して人付き合いが得意な方ではないのだが、
それでも集団尊重という名の下にあらゆる人と接し、
いろんな(いや、正確には画一的な)人間関係を築いてきた。
その人間関係の築き方を分析してみると、次のようなポイントが明らかになった。

1.基本的にニコニコする。
2.何が何でもまず下手に出る。
3.マイナスの感情(怒り&悲しみ)を表に出さない。
4.偉そうな態度を示さない。
5.失敗のエピソードをひけらかして自分を落とす。
6.頼まれたことは基本的に首を縦に振り、反抗しない。
7.何をされても「いいよいいよ」と気にしていないように振舞う。
8.相手の無礼を大目に見る。

1、2、4・・・敵意がないことを示す?
3、7、8・・・心の広さ、寛容さを示す?
5、6・・・親密になれることを示す?

4の偉そうな態度だが、偉そうな態度=罪という感覚がある。
なので腰の低い態度=善という解釈に繋がり、
2の下手に出るという行動になったような気がする。

あと8の相手の無礼を大目に見るには
こっちの無礼も大目に見てくれよという意味も含まれている。
「お前の悪事は見逃してやるからその代わり・・・」という
司法取引(悪く言えば越後屋と代官)的な契約を暗黙的に結ぼうとしている。
相手も同じ考え方であればいざこざは起らないんだろうけど・・・

自分がない

田舎から都会に出てきた時、思ったことがある。
会う人皆なんでそんなに自分勝手なのかと。
言いたいことは容赦なく言うし不平不満をぶつけるし、
あの人がこうしてくれない、何々が足りないと愚痴ばっか。
我慢強くない、辛抱が足らん連中ばっかり。
自分みたいに何事にも耐え忍んで我慢して
ニコニコ笑ってればいいのに。。。

「不平不満は悪」「自己主張は罪」
「皆と同じが正義」「ガマンは美徳」
戦前の日本やバブル崩壊以前の大企業ではウケがいい言葉。
そういうところでは今の自分でも十分に通用しただろう。
むしろ歓迎されただろう。(うちの田舎じゃ今でも大歓迎だが)
しかし今のご時世はなかなか通用しない。
逆に軽んじられるぐらいだ。自分がない人、どうでもいい人。

イジメられないように目立たずひっそりと身を隠しながら
集団生活の中で生きてきたのに、今度はそれが仇となって
他人から相手にされない、信頼されないようになってきた。

「あなたの考えていることが分からない」

ある人からこんなお叱りを受けた。
生まれて初めて言われたことだったので正直混乱した。
そりゃそうだ、ハト時計に考えることなど必要なかったのだから・・・。

ひとやすみ

都こんぶサイコー

出る杭は捨てられる

ハト時計は個性と自己主張を否定して己を守ってきた。
己の意見、自己主張や不平不満を一切ひた隠し、
他人の顔色を伺いながら付和雷同に付き従ってきた。
それが「協調性」であり「社会性」であり「大人」だと思ってきた。
少なくともそうしている限り誰からも攻撃されることはない・・・
そういう算段が頭の中にあった。

ムラ社会は白黒はっきりつけることを好まず、責任の所在を曖昧に
グレー一色にすることがよくある。
グレーである限り攻撃はされないし、攻撃をする必要もない。
そんな中で一人白黒つけようと意見を口にしようものなら
和を乱す悪いやつというレッテルを貼られてしまうと思っている。
出る杭は打たれる・・・いや出る杭は抜かれて捨てられると思っている。
捨てられるぐらいなら己の個性を捨ててしまえばよい、
周りに迎合しておけばよい。そうすれば安泰が保証される。
そして「ああ、これが正しい選択だったのだ」と思い込む。

なんでそんなに捨てられることを恐れるの?
ハト時計ははっきりという。「捨てられる恐怖=イジメの恐怖」と。

仕事とデート

10年前、とある照明器具の工場に入社した。
毎月会社から発行される社内報に新入社員のコメントを
載せる欄があり、当然のごとく僕のもあった。
問:「残業とデート、どっちを優先する?」
答:「当然デート!」
確かこんな回答を載せていたような気がする。
ほかの人は「仕事」「臨機応変」と書いているにもかかわらずである。
当時はえらく堂々としていたものだ。
おまけに一回り年上の上司にタメ口使うわ有休は普通に使うわで、
意外と奔放に生きていたような気がする。

ただつい最近まで「自分を捨ててでも職務を全うするのが
立派な男=社会人だ」と思っていた。
休みの日に私用があっても呼び出されれば駆けつける、
残業が遅くなっても次の日は必ず出勤する、
風邪を引いたぐらいでは絶対に休まない、
たとえ行き詰っても他人の手を借りずに自力で克服する、
そんな鉄人のような仕事ぶりが立派なんだと悦に入っていた。
(ある人曰くその時点で十分うつの入り口に立っているそうである)
仕事が遅くて妻に怒られたが何故怒られるのかその時は
正直皆目検討もつかなかった。

わずか10年弱でここまで人は変わるのだろうか・・・。
逆に言えばこの先10年でも更に変わる可能性があるということかもしれない。
っていうか現在進行形で変わりつつある。
時計屋に飾ってあるハト時計に恨みはないが、無性に壊したくなってきた(ヲイ)

行動原理

行動を起こすもととなる心理、衝動っていろいろあると思う。
学問的にどうこうするつもりはないので適当に挙げてみる。
1.生理的欲求⇒睡眠、食事、やりry)
2.単純に好きだから⇒趣味全般
3.義務だから⇒仕事、質素倹約
4.自分のため⇒自己啓発
5.他人のため⇒看病、介護

いまいち頭が回らないのでざっくりとこんな感じになった。
ただもう一つ加えるのであれば「他人の評価を得るため」がある。

ハト時計は「他人の評価を得るため」の優先順位が高い。
他人の評価を得ると、自分の価値が証明される、UPすると考えているからだ。
そのため常に他人の目、顔色を気にしている。
他人の目、顔色を一定に保つこと、いや、保つことによって
自分を守ることが生きがいになっているのだ。
すくなくともムラ社会ではまず迫害されない。
むしろ擁護される(ように思い込むことが出来る)。

しかしトカイでは・・・。

ムラ社会の鉄則

別に誰かから教えられたわけでもない。
気がついてたら身に染み付いていた。
いや、実は意図的に覚えようとしていたのかもしれない。
自分で勝手にそう思い込んだ面もあるのだから
100%周りの環境(親や近所)のせいにはできない。
ただ自分に類似した点が周りにも見受けられるだけだ。

以下にハト時計が自らに課した鉄則を羅列する。
一.細かいことは気にするな ⇒大筋OKならそれでよし
一.多くを語るな      ⇒相手は言わずとも分かってるはずだ
一.言いたいことは言うな  ⇒出る杭は打たれる
一.年上に意見するな    ⇒同上。年上には無条件に従え
一.不平不満は言うな    ⇒同上。
一.我慢こそが最高の美徳  ⇒辛抱できない奴はいらない
一.全体の和を重んじよ   ⇒個性を否定

出る杭は打たれるというのはやや語弊がありそうだ。
「出る杭は引っこ抜かれて捨てられる」が正確かもしれない。

勘のいい人はすぐにピンとくるはず。
全体主義・封建主義の成れの果てだと。

ヲイゲンシュタイン君の出自

私の生まれは兵庫県の片田舎だ。
電車もない、信号もない、事故事件もほとんどない。
耳を澄ませば雑音一つなくシーンという静寂に包まれて、
まるで時間の流れが止まっているかのように感じる・・・。
といえば聞こえは良いが実態は大したことない。

未だにムラ社会と呼ばれるものが存在していて
昔から変わりなく皆それに縛られて生きている。
(いや、皆というのは語弊だ。少なくともうちの実家は縛られている)

よくニュース等で「都市部で悲惨な事件が起きるのは
ご近所同士の繋がりが希薄で、お互いが無関心。
だからかつての地域社会の復活が望まれる」なんて話題が取り上げられる。
確かに地域社会の復活はいいことなのかもしれない。
ただそこに付随するムラ社会は時代に逆行する存在のような気がする。

ハト時計とはそんな存在だ。

ハト時計

「ボルジア家の腐敗と陰謀の25年はルネサンスの天才たちを生んだが、スイスの平和な500年は何を生んだ? ハト時計だけさ」

上記のような映画『第三の男』の名台詞が紹介されている。
まぁ私は見たこともないが・・・

ハト時計はあったとしても邪魔にはならない。
でも特に必要というわけでもない。どうでもいい存在だ。

正直言って私の生き方はハト時計そのものだった。
定刻が訪れれば定型どおりに飛び出して鳴き、引っ込む。
ずーっとそれの繰り返し。
でも邪魔ではないから誰にも文句を言われない。
ただだれもそれに感動するわけではない。
ネコや犬などの愛玩動物は人を癒すかもしれないが、
ハト時計は何の癒しにもならない。時刻を教えてくれるだけ。

問題は自分自身がハト時計そのものであったことであるが、
それ以上に「ハト時計であることに正当性を感じていた」
ことに問題があるんだと思う。
それに気づいたときは正直ブルーだった。
でも気づいてしまった以上、今更後には引けないわけで・・・

ハト時計に価値はあるのか?

島耕作に知る「いい人」をやめる男の成功哲学 島耕作に知る「いい人」をやめる男の成功哲学
弘兼 憲史 (2005/01)
講談社
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プロフィール

ヲイゲンシュタイン1世

Author:ヲイゲンシュタイン1世
三十路以降パッとしない自分に幻滅中の2児の父親。
子供以上にカーズはまりつつある。
いや、カーズ以上にはまっているのはONE PIECEだが・・・。

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