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問題解決(その1)

もし目の前に一つの問題が立ちはだかるとする。
通常、誰でもこれを解決しようとするはずである。

ところが愚直な者はそれをしない。
問題があることを認めない。
あるいは問題が見えない。
問題が見えても避けようとする。
ひどい時は問題にぶつかって痛い思いをしても我慢する。
問題にぶつかる⇒困った⇒でも我慢する⇒問題を解決する必要がない⇒ラッキー!

「イヤなことがあっても辛抱しなさい」
「わがまま言わずにおとなしくしていなさい」
そんな教育を無抵抗に受け入れていたハト時計。

そう、問題に直面してもただじーっとしていることが美徳なのだ。
お金がなくても、
食べるものがなくても、
眠ることが出来なくても
仕事がなくても、
学校に行けなくても、
生きるのが辛くても、
病気に苦しんでいても、
死ぬのが怖くても、
ただただ臥薪嘗胆、ぐっとこらえる。

なるほど、確かに辛抱強くなる。
正確には人間としての神経が麻痺する。
旧日本軍のように。
人間としての神経が麻痺すれば何も怖くない。
敵兵を殺しても仲間が死んでも、
自分の自由意志が完全にたたきつぶされても怖くない。
万歳!万歳!と諸手を上げていれば何も怖くない。

当然、問題解決能力なんてものは身につかない。
問題があっても無謀な前進を続ける惰性しか身につかない。
それを美化する文化がハト時計に内在する。
単なる弱さの正当化でしかないのに。
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兵庫県

小生は兵庫県の出身である。
といっても「自分は兵庫県民だ!」という
アイデンティティは持ち合わせていない。
おそらく兵庫県民の多くがそうだと思う。
元々風土の違う地域の寄せ集めで出来た県なので、
地域が違えば「よそもん」として扱い、
親近感のかけらも感じない。
沿岸部(都市部)に住んでる人は六甲山より
北は兵庫県ではないと思っているし、
ダウンタウン出身の尼崎はもはや大阪の一部だ。
各々の地域に住んでる人間は各々の地域がイチバンだと思っている。
また話す言葉も微妙に異なる。
関西弁で一括りにするにはやや難がある。
日本海側の但馬は中国地方の方言に近いし
小生出身の丹波地域は京言葉の流れを汲む。

関東に出てきて困ったことは、
「どこの出身ですか?」と聞かれたときの返答。
関西なら地域名「丹波~」を言えば全て事足りた。
ところが関東ではそれで分かってもらえるはずもない。
しょうがないので渋々兵庫県と答えるしかない。

そう、真っ先に口をついて出てくるのはあくまで地域名。
県名なんて所詮お上が勝手につけた行政区名にすぎないという意識。
確かに「兵庫県」という3文字に何の愛着もない。
でも今は神奈川県民なので愛着がなくても困りはしないのだが。。。

ほかの都道府県の人は自分の都道府県に愛着を持っているのだろうか?

一時の恥

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」
分からないことを分からないまま放置しておくと、
後で痛い目に会うという意味の格言だ。
もちろんハト時計にとっても重要な意味を持つ。

一時の恥なんて実は軽いもののはずだ。
しかしハト時計にはその一時の恥がとても重く感じられる。
もちろん一生の恥の方が余程重いわけだが、
一時の恥によって襲って来る疎外感、不安、劣等感が
致命的なダメージを与えると思っている。

知らないことを知らないと言えない軟弱さは評価に値しない。
知らないことを知らないと言って何が悪い?
それによって周りから仲間はずれにされたり
いじめられたりすることがあるとしても、
別に自分を卑下しなければいいじゃないか。

ところがハト時計に巣食うムラ社会の論理と子供の頃の記憶が
タッグを組んでそれを阻む。

奨学生の時分、日常的にテレビの歌番組を見なかったタチなので、
当時メジャーな歌手や曲をまるで知らなかった。というか興味が全くなかった。
ところが同級生たちの間ではそういう話題が飛び交っている。
突然「あの○×知ってる?」と聞かれ、「知らない」と答えた。
その瞬間空気が変わった。
貧乏だからテレビも映らないんだと言われ、蔑むような視線を投げかけられる。
疎外感にさいなまれ、居心地が悪くなった。
(思えばそれがイジメの発端になったような気がする)

そこでムラ社会の論理という悪魔がささやきかける。
周りからいじめられるなんて情けないねぇ。
そうやって本当のことを言って周りからバカにされると、
居場所がなくなるよぉ、困るよぉ、どうするの?
居場所がなくなるくらいなら適当にごまかして
知ってるフリしたほうがいいでしょう?

そうだ、無理に本当のことを言う必要ないんだ。
知ってるフリをしてやり過ごすことが一番いいんだ。
テキトーに首を縦に振ってうなづいていればいいんだ。
それが本当の世渡り上手なんだ。
本当のことを言ってバカにされてたらやっていけないんだ。

確かに表面上は無難に過ごせるかもしれない。
しかしここぞという時にうろたえる羽目になる。
一生の恥より一時の恥を避けた報いを受けることになる。

あの当時、「そんなくだらないことに興味はねー!文句あっか?」と言える強さがあればこんなことにはならなかった。
でもいくら過去に是正を求めても仕方がない。
(わざわざ書くまでもなく)過去は変えられないからだ。
是正できる対象は未来しかない。
そして是正できるタイミングはその真実に気づいた瞬間しかない。

29

信じられない話ですがもうそんな歳になりました。
そりゃー元々顔立ちがふけている上に
兄貴と二人で髪切りに行ったら、
「お兄さんですか?」って聞かれるし、
どこぞの夫婦には
「32歳のインドネシア人」て言われるし、
まーまず若く見られることはない。
男社会は若く見られるより年上に見られたほうが
何かと好都合だと聞いたことはあるけど、
未だその恩恵にあずかった覚えはNEEEE!

ただ精神的に成熟していません。
これは紛れもない事実。
体裁を気にして多くを語らないことが
大人の秘訣だと勘違いしていたし。
タテマエだけで世の中渡っていくことが
うまい処世術だと思っていたし。
でもそれが通用したのは高度経済成長期からバブル全盛期までの話。

子供が生まれたら形式上パパになるわけだけど、
中身はすぐにパパになるわけじゃない。
いや頑張ればなれる!って断言してもそれはただのキレイごと。
結局子育てを通じてパパとして成長するしかない。
昔は仕事さえしていれば父親としての威厳を保てたようだけど、
今は家庭より仕事が大事、そんな時代じゃない。
家庭に向き合うことが出来て当たり前。というかそれがスタートライン。

思い返せば父親との触れ合い、思い出がこれといって特にない。
真面目に仕事をする姿しか見ていないので、正直むなしい。
自分の子供にそんな思いをさせたいとは思わない。
ただ子供にそんな思いをさせないために何ができるか、
それはうちの親は教えてくれない。それ以前に教えられないと思う。
自分で考え妻と相談する、それに尽きる。

優しさ(その2)

当然自分自身が変われば、仏であることを歓迎していた人たちは怒る。
なんでそうなるの?今まであんなに優しかったのに。
信じられない、裏切られた、もう絶交だ。
罵詈雑言を浴びせられるかもしれない。
それが怖くてハト時計は変わることを拒んできた。
変わらないことが一番安定していて良いと自分に言い聞かせた。
変わるフリをして自分と他人をごまかしてきた。

しかし今度はごまかしてきたが故に、罵詈雑言を浴びる羽目となった。
上っ面だけで中身がないということを見抜かれたのだ。
やがて自分でフタをして隠していた本音と向き合わざるを得なくなる。
正直そんな本音を受け入れたくはない。
自分の思い描く理想と等身大の現実にギャップがありすぎるからだ。
「自分はこうあってほしい」という理想と
「自分はこう思っている」という現実、
あまりにも乖離しすぎている。
乖離している?それは当然だ。
そのロクでもない本音を覆い隠すための理想なのだから。

優しさ(その1)

ハト時計の売りは優しさだった。
どんな頼みごとであろうと、
いやな顔一つせず笑顔を絶やさず、
その依頼をを叶えることに必死だった。
愚痴を言われれば聞いてやる、
無礼なことをされても怒らない、
他人のやることに口出しをしない、
他人と争わない。
まるで仏のような存在だった。
そしてそれを歓迎する人ばかりだった。

その優しさは誰のためのものなの?
他人のため?自分のため?
おそらくどちらでもない。
自分と他人をごまかすためのものにすぎない。
真実から目をそむけるためのものにすぎない。

その優しさで誰を幸せにできたの?
自分?愛する人?その他大勢?
当然のことながら誰も幸せになっていない。
そもそも自分が幸せじゃないのに、
誰かを幸せにしようだなんて傲慢不遜極まりない。

歓迎する人ばかり?
それも違う。
歓迎されることに自分の存在価値を見出していただけだ。
逆にそういう自分を周りは歓迎すべきだとさえ考えていたのではないか。
歓迎されなければ自分に未来はない、
だから周りの期待に必死にこたえようとする。
ただしそこに自立した個性は存在しない。
他者の評価という土台がなければ踊れない操り人形でしかない。

ハト時計よ、そんな踊りが楽しいのか?

弱肉強食の封建主義

幕末、アメリカに渡った日本の使節団が議会の白熱した議論を見て
「まるで日本橋の魚河岸のようだ」と感想を述べたらしい。
封建主義一本で生きてきた人間は、民主主義を理解できなかったのだ。
そういう意味でハト時計は封建主義的な発想を抱えている。
力ある者に従い、でしゃばらず、長い者に巻かれていれば無難だと思っている。
なんでも首を縦に振って今のポジションが守れればそれでいい。
首を横に振って今のポジションを捨てることが恐ろしくてたまらない。
現状維持こそが正義であり、変化は悪である。
変化=悪化だと思っている。良くなるわけがないと思っている。

そしてそれは発想だけでなく、行動にも及んでいる。
議論が苦手
⇒深い議論を重ねるというプロセスに価値を見出せない。
批判が苦手
⇒批判とは刀で切りつけることに等しい。
だから切りつけさえしなければ切られないですむ。
切られたくないなら切りつけるな。
自己主張が苦手
⇒組織、集団、全体の意志に背けば死が待っている。
死にたくないなら全体の意志に従おう。

およそ民主主義に逆行した存在だ。
学校の社会の授業で民主主義についてさんざん習ったが、
ハト時計は結局それを単なる知識にしていただけ。
本当は生きる知恵につながるということを理解できていなかった。
もちろん言い訳はいくらでもある。
力のあるやつには逆らえないという現実。
逆らって殴られて痛い目には会いたくないという本音。
無条件に年長者の言うことは聞きなさいという教育。
民主主義なんて詭弁だ、結局この世は弱肉強食だ、
弱いやつは強いやつにやられる、平等なんてウソっぱちだ。

そうやって自分の弱さを正当化している限り、何も変わらない。
弱いことを事実として受け止めたなら何故強くなろうとしない?
強くなることがイヤなの?怖いの?面倒くさいの?

ハト時計曰く、「うん、怖い。怖くて震えがとまらない」

被害妄想

近くで誰かがヒソヒソ話をしていると、自分の陰口を言われていると思い込む
笑いながら会話をしている人を見ると、自分のことをバカにしていると思い込む
偉そうな口調で怒鳴りつける人は、自分を嫌っているんだと思い込む
ある一つのことで怒られると、自分の全てが否定されているものだと思い込む

ハト時計は、思い込みが引き金となる行動が5割以上を占めている。
そして客観的事実に基づいて行動する回路がショートしている。
IT業界で仕事している割には右脳で物事を考えてしまっている。
こうすればいいだろう、きっと喜ばれるはずだ、前例を踏襲すれば文句を言われない。

その思い込みが通用する相手は自分しかいない。
相手が自分のような人間であればそれでも構わない。
しかし現実は、自分とは全く作りの違う生き物がウヨウヨしている。
うわーこれは大変だー。
自分と違う考えを持つ生き物は全て敵だと思い込む。
結局自分と同じ考えを持つモノを探そうとする。
同じ考えを持っていれば価値観が共有できるし存在価値を否定されないですむ。
逆に、その共同体から逸脱すれば存在価値が否定されると思い込む。
だから決して他人を批判しない。
誰に対して批判さえしなければ誰からも批判されないと思っているからだ。
そして「因果応報」という理屈を必要以上に妄信している。

ところが世の中そんなに甘くない。
殴らなくても殴られる、盗まなくても盗まれる
怒らなくても怒られる、笑ってても怒られる
右頬を殴られたからといって、左頬を出しても褒められない。
左頬を出して殴られたら、結局バカにされて終わり。

ハト時計は思った。
そんなことなら定刻になっても鳴かなければいい話だ。
鳴かなければだれにもとがめられない。
そうだ、それがいい、いちばん安全だ!

ハトは壊れた時計に存在価値がないということを、まだ知らない。

こんな時に限って

今朝、ケータイも持たずに出勤しますた
葉書はちゃんと投函してるのに・・・。
業界専門用語であるFIFOじゃないけど
何か一つ新しいことを記憶すると、
一つ別のことが抜け落ちるようです。

で、こんな時に限って京浜東北線が運転見合わせ。
架線トラブルで復旧には相当時分かかるとのアナウンス。
せっかくいつもの電車より一本早いのに乗ったのに~
勤務地の大森に到達するには京浜急行を利用するしかない。
というわけで川崎駅で京急線に乗り換え。
振替輸送するのはいいけど、当然のことながら
乗客が集中的に殺到するわけでもうぐちゃぐちゃ。
おとなしく空いてる普通列車に乗りました。

大森海岸駅ならすぐだろう、とタカをくくってたら
なんだかんだ言って時間がかかること。
一駅前の平和島駅では特急の待ち合わせでしばらく停車。
終まいにゃ「京浜東北線は運転を再開しております」のアナウンス。
運転再開待ってても到着時刻大して変わらんかったやん!
と、くだらないところで損得勘定を出してくる始末w

で、大森海岸駅で改札通るとき、みんな振替乗車券?みたいなのを
駅員の抱えてる回収箱に入れていくわけだが、
京急川崎駅で「そのままお通りください」と言われた小生は
当然そんなもの持ってないわけで。
一瞬テンパったが素直に「持ってないけどいいの?」って聞いたら
「いいですよ、どぞー」という反応。
田舎モノなのでいまいち振替輸送のシステムが分かっておりませぬ。ハァ・・・。
誰か教えて

しがらみ

朝テレビをつけると大抵この人が映っている。
今朝のニュースでは東国原知事が県民ブレーン座談会を開き、
農業を営む若者たちとさかんな議論を交わしたという。
農業は宮崎県の基幹産業。
知事が全力を上げてバックアップするのは当然だ。

ちなみに小生の地元は田舎なので農業を営む家庭が多い。
ただ特色といえるものはほとんどない。
実家も二反八畝ほどの狭い田畑を耕してるが、正直大赤字だ。
とてつもなく値段の高い農機具各種。
売っても二束三文にしかならない米。
誰のために存在しているのか分からない農協。
観光事業ばかりにのみ着目する行政とその支援者。
その赤字を埋めるためにサラリーマンやってるようなものだ。
それなら農業なんてやめたらええやん、と思った。
でもやめられない。やめられない空気がそこにはある。
現状維持こそが正義であり、変化は悪という空気
やめれば村八分にあうという脅迫観念が支配している。
村八分にあえば生きていけない、という思い込み。
表面上はニコニコしながら見えないところでお互い縛りあっている。

ハト時計はそれを本能的に察知し、毛嫌いして飛び出したはずに違いない。
ところが己を縛っていたものは、その毛嫌いしていた論理だった。
結局そこに安息を求めていただけだった。

宮崎県のように行政が味方になれば心強い。
小さいコミュニティ(村、集落)の不条理な論理に
振り回されることなく進んでいける。
問題は味方がいなくても不条理に打ち勝とうとする勇気をもてるか、にある。
ハト時計よ、そうすれば恐怖で気が狂いそうになるかもしれないが、
気が狂ってでも不条理に勝ちたいとは思わないのか?

実地訓練

昨日チャイルドシートを購入したはいいが、
セッティングの仕方がいまいち要領を得ていないので
予行演習することに。
もちろん(?)協力してくれるのはリラックマだ。

チャイルドシート


あらかじめ説明書読んだり付属の取扱説明ビデオを見たりしたので、
五分ぐらいでセッテイング完了!
ポイントはリクライニングを全開にすることとシートベルトの絞り。
ロック用の金具が功を奏してグラグラせずに済みました。

あとは赤ちゃん自体を固定するベルトの調節。
こればっかりは実際に赤ちゃんを置かないと分からない。
リラックマでは小さすぎて・・・ってクビ絞まってるやん!
・・・なんてことが実際に起こらないよう本番時は
ママに見ててもらいます。

GO! WEST松屋

別に関西の松屋まで定食食べに行くわけではありません。
大物育児用品を買いに西松屋まで行くことに。

当然チャイルドシートも買おうとしたわけだが、
広告に載ってた目ぼしいヤツがいまいちだったので、
別のものを選ぶことに。
ところが車種別適用一覧に載ってない!
店員さんに聞いたところ、まだ新しくて載っていないんだと。
んーそれじゃあうちの車に設置できるか
分からへんなーと思ってたら「つけてみます?」と。

実際に乗せてみたら設置可能ですた。
ただ動かないようにシートベルトで固定するのだが、
どうも緩くて転げ落ちそうな気がした。
んーこんなもんだろうかーと不安に思ってたら、
シートベルトを絞る金具が別途あるのだそうだ。
ってかこの金具がイチバン重要じゃない?

ほかにもいろいろ書くことがあるのだが、
あまり書きすぎると嫁さんのブログネタが
欠乏してしまうのでこの程度に・・・。

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コウモリ

「まるでコウモリみたい」

随分昔だが、ハト時計はそう言われたことがある。
イソップ童話に出てくるコウモリのことだ。
「かつて鳥とけものの戦争があった。
鳥が優勢になれば自分は翼があるから鳥の仲間だと言い張り、
けものが優勢になれば自分は獣の顔だから獣の仲間だと言張る。
そうやって常に優勢な側についていた。
やがて戦争が終わるとその変節ぶりが忌み嫌われ、
互いの陣営から仲間はずれにされた。」

思えば高校生の頃はまさにそんな振る舞いをしていた。
親にはいい子供を演じ、
先生にはいい生徒を演じ、
後輩にはいい先輩を演じ、
不良にはいい道化を演じた。
そうやって誰も敵に回さないようにした。

アラブとユダヤ双方に聖地での国家構築を約束したユニオンジャック、
枢軸国を離れ連合国側に回ったシチリア半島の国、
アメリカとテロリスト、双方と仲良くする組織。
歴史を振り返ればコウモリ的な国家戦略がかいま見える。

歴史はいろいろな教訓を投げかけてくれる。
問題はそれに気づかなかったこと、理解しなかったことだ。
弱いんだからしょーがないと言い訳していただけだった。

ハト時計よ、実はハトではなくコウモリではないのか?

歌詞と歌声

やや乱暴な例えなので予め断っておく。

誰にでも好きなミュージシャンの一人や二人はいると思う。
「歌詞に共感をもてるから」「歌声が素晴らしいから」
どうしてそのミュージシャンが好きなのかという理由を問えば
おそらく歌詞と歌声(あるいは熱意と楽曲)の2つに大別されるような気がする。

ハト時計は元々語気の弱い柔らかい抑揚の文化圏(平たく言えば田舎)で
育ったせいか、偉そうな口調=攻撃的な口調で話されると傷つく。
(遠因には偉そうな人間=自己主張の強い人間に対する偏見がある)
すなわち、話し方、抑揚、口調を重んずる。
「偉そうな口調、攻撃的な口調で話さなければ相手は傷つかない」と思っている。
なので表面上はすごく人当たりが良いことになる、が
これが通用しないことを最近1年でまざまざと見せ付けられた。

すなわち、意味・内容・何を言いたいのかを重んずる文化だ。
「相手の気持ちを考えて言葉を選べば口調・抑揚など関係なく相手は傷つかない」と思っている。
ハト時計(=ムラ社会人間)にすればものすごく人当たりが悪く感じる。
抑揚、口調が強いことに攻撃的意志、あるいは悪意がこめられていると
一方的に解釈し、それをある種の怨恨に高めていく。
(的を得ていない解釈になるが、関西の人が関東の人を冷たいと
感じるのはこの類ではなかろうか)

素晴らしい歌詞(熱意)を歌うミュージシャン
素晴らしい歌声(楽曲)で歌うミュージシャン

歌声さえよければ歌詞はどうでもよいのか?
楽曲さえよければ熱意は込めなくてもよいのか?

ハト時計は苦し紛れにこう答えた。
「素晴らしい歌声にこそ熱意はこもっているものだ!!」
中身のない歌声が人を魅了できる期間はそう長くないのに・・・

石橋

「石橋をたたいてわたる」
物事を慎重に進めるという意味のことわざだが、
人間の行動にあてはめると多種多様な気がする。
一つの目的を達成するためにリスクを背負う必要がある場合、
人はどんなアプローチをかけるのだろうか。

A.石橋をたたかない
1.何も気にせず平気な顔をして渡る。
⇒向こう見ずと勇気は違うぞ!
2.橋の真ん中を渡って「はしは渡ってないぞ」と言い張る。
  ⇒一休さんかYO!
3.橋を使わず泳いで渡る。
  ⇒泳げなかったらどうするんだ。
4.そもそも渡らない。
  ⇒ある意味潔いが論外!
5.まず他人に渡らせる。
  ⇒人身御供か!

B.石橋をたたく
1.橋が丈夫であることを確認して渡る。
⇒度胸がない!
2.たたいたことによって橋が脆くなったと思い込み、
渡ることを躊躇する。
⇒神経質!
3.叩くことに夢中になる。
  ⇒本来の目的逸脱しとる!
4.叩き過ぎて橋が壊れる。
  ⇒壊してどうする!

さて貴方はどんな行動をとる?

喜怒哀楽

三省堂提供「大辞林 第二版」によると
「喜びと怒りと悲しみと楽しみ。人間のさまざまな感情。」だそうで。

それぞれの感情に対するハト時計のイメージはこうだ。
喜:プラスイメージ
怒:マイナスイメージ
哀:マイナスイメージ
楽:プラスイメージ

ハト時計は喜と楽だけで生きていこうとしていた。
その証拠に怒らないし哀しまない、それがいいことだと思っていた。
というか感情の世界に身を乗り出すのが物凄くこわいんだと思う。
自分はいい人間だからちょっとやそっとのことでは怒らないし哀しまないと思ってるけど、
実際はちょっとやそっとのことで怒ったり哀しんだりしているのではなかろうか?
正直そんなことは認めたくない。
心の狭さを認めたいわけがない
ましてそれを表に出すことなんて逆立ちしたって出来ない。
わがままというレッテルを貼られるのが怖いからだ。

よく相手の顔色を伺っていたが、それは相手の気持ちを汲み取るということにはならない、と最近思えるようになってきた。
 相手の顔色を伺う=自分のため
 相手の気持ちを汲み取る=相手のため
怒りや哀しみが存在しなければ苦しみはないが、
それは人間らしさを捨てるということに他ならないのでは?

人間らしさを否定して大人ぶっても信頼は得られない。

実践

宴もたけなわで終了した新人歓迎会。
当然飲んでテンションがあがってるので
二次会に行くぞ!という連中がいるわけで。
東京での部下をはじめ、社長もそのクチではある。

案の定誘われたが翌朝にはすぐ自宅に
戻るつもりだったので丁重にお断りした。

きっと「付き合い悪いやっちゃなぁ」と思われているだろう。
(確かに昔は二次会の類なら喜んで参加していた)
でもそれがイヤで迎合してたら自我が確立できない。
周りの意見や雰囲気に惑わされず自分の意志で動かないと
前々から言っているように自立できない。

まぁこの程度のことで居心地悪くなるような会社だったら
早々におさらばしたほうがよいのかもしれない。
そう考えれば何も怖くない気がしてきた。

いざ大阪へ

自社の新人歓迎会があるということで、
急遽大阪に出張することに。

料理はちゃんこ鍋でした。
部下に鍋奉行を任せてたら、
ちまちま具材を入れてるのが気に食わなかったのか、
社長が豪快にどさっと鍋にぶちまけてしまい、
見映えのよろしくないものに。。。
まぁ男が大半だから気にするやつはいないわけだがw
ただ皆おしゃべりに夢中でカボチャを食べるのを
失念していたら見事に溶け込んでしまいました。
もはやカボチャスープ!
最後はラーメンを投入して締めました。

【ちゃんこ鍋】
場  所:『ちゃんこ両国』JR京橋駅 徒歩2分
評  価:
ジャンル:鍋
味の特徴:あっさり塩味

幹事が新人さんと社長の挨拶を開始早々にやってしまったため
締めの挨拶を小生がやることに・・・って何しゃべったけな?w

ちなみに本社が少し大きめのビルに移転ことがケテーイ!
まぁ東京メインで動いている小生には余り関わりがないのだが・・・

ハト時計のハト

ハト時計を作った職人は自画自賛している。
少ないコストで手間暇もかけず、
見映えだけは整ったハト時計が完成したから。
そしてハト時計のハトはずっと鳴き続ける。
職人のぬか喜びを増長させるために。
また外の世界を知らないハト時計であり続けたいがために。

飛び立ちたいのなら時計の箱なんて壊してしまえばよい。
ところが職人に怒られるのが怖くて壊せなかった。
壊せてないのに表向きは壊したことにしたかった。
そもそも壊す必要性がないんだと己に暗示をかけていた。
本当に恐ろしいのはそうやって真実から目をそむけ続けることなのに。
真実から目をそむければ楽だ、考えなくてすむから。
それでもいちばん苦しがっていのは自分自身だという事実は変わらない。

親になるということは責任を持って子供を
一人前の大人に仕立て上げるということである。
そんな親が一人前の大人でなかったら、
子供はどうやって一人前になるのだろう?
それを反面教師として立派に育つ子供もいる。
だからと言って敢えて反面教師になる必要はない。
反面教師でもよいから子供が立派になってくればいい?
だったら最初から親として振舞う必要はないことになる。
親失格。いや、人間失格。

そうやって自分を責めて自己陶酔してても進展しない。
もういい加減目覚めたらどうか、ハト時計の中のハトよ。

製造過程

「目上の人の言うことは聞かなあかんやろ」
「文句言わんと我慢しとけ」
「ぜいたくなんかしたらあかん」
「細かいことをいちいち気にすんな」
「お金ないんやからしゃないやろ」
「そんなん無理やからやめとけ」
「ほかの人と一緒がいちばんやで」
「どんな時でもにこにこ笑いぃな」

ハト時計の親は必死にしつけたつもりだったのかもしれない。
でもそれは自分にとって都合のよいカラクリに仕立て上げただけ。
自分たちの育ってきた境遇・価値観が正義だとして仕込んできただけ。
そして何よりもそれらを唯一の正義と信じて受け入れてきた子供。

思えば我が家では経済的自立が大人になる条件の最上位にあった。
経済的自立ができてはじめて大人なのだと心底信じていた。
でも経済的自立ができたところで精神的自立が出来てなくては意味がない。
親離れ、子離れができない限り本当の大人になることはできない。

成人してからは問題を起こさない、ピンチを招かないことに終始した。
問題さえ起こさなければ嫌われない。
ピンチを招きさえしなければ解決の必要がない。
壁にぶちあたって乗り越えていく、ではなく壁を迂回して怪我を防ぐ、という発想。
「どんなにイヤなことがあっても文句一つ言わず我慢してやり遂げる」
聞こえはいいけれどもそこには欺瞞が含まれていた。
「他人がガマンできないことを自分はガマンしてやっている。だからほめてほめて!」
すごいことをやっているのだから、周りの人間が自分を褒める、認めるのは当たり前。
実は謙虚そうに振舞いながらものすごく傲慢な思いに支配されていた。
本当は他人に褒められないと自分の価値を再確認できないだけ、
文句が言えないのでビクビクしながらじーっと耐えて嵐が過ぎ去るのを待っているだけなのに。

ハト時計は捻じ曲がった愛情で製造された。
いや、製造されたというより自らその道を突き進んでしまった。
本当は製造過程で気がついて軌道修正しなければいけないのに、
反抗期というアラームを鳴らさずに完成した。(でも本当は未完成)

「ははは、なんだそれは」
仕事の帰り際、思わず笑いがこみ上げてきた。
みんな、変な目で見るなよ、気が触れたわけじゃないからw

Tuesday, December 4, 2029

http://www.deathclock.com/

上記サイトで調べた小生の寿命です。
22年後の12月4日かぁ、ってことはちょうど50歳???
じゃあ人生折り返し地点はとっくの昔に過ぎたのね。。。

だれだ!そこでほくそ笑んでるヤツは

トカイ社会の傾向

http://eugensteinm.blog48.fc2.com/blog-entry-4.html
以前、ムラ社会の鉄則という記事を書いたが、
今回はその対極となるトカイ社会について書いてみたい。
(ちなみに小生の主観が多く含まれているので
客観性に欠けているのでご了承くだされ)

己の主義・主張はためらわず言う
 ⇒(言わなきゃ損)
不平・不満も躊躇せずに言う
 ⇒(言わなきゃ損)
全体がどうなろうかなんて知ったこっちゃない
 ⇒(みんな好きにやればよい)
どんな細かいことでもちゃんと納得しないと気がすまない。
 ⇒(慣習?しきたり?みんなやってる?ふざけるな)
何も言わずガマンすることは悪
 ⇒(ガマンしてても意味ないじゃん)
個人主義・物質主義・民主主義・法治主義

ちなみに欧米は自己主張できない=無能と見なすそうである。
「出る杭は打たれる」ではなく「出ない杭は見捨てられる」だ。

なるほど、ハト時計には到底理解しがたい世界だ。
でしゃばる=罪という観念が、でしゃばる=生きていく知恵という
方程式を受け入れがたくしている。
本能的にムラ社会に対して心の安らぎを求めたいのが分かる。
しかし果たしてそれでいいのか?
渡り鳥になりたいのならハト時計の箱の中から飛び出さなければいけない。

結局箱の中から出たくないのか?

ハト時計の自問自答は続く。。。

保存食を賞味

チキン&ライス[賞味期限:2007/3/20]

レトルトパウチ「チキンライス]
原 産 国:USA
評  価:
ジャンル:保存食
味の特徴:猫のエサ未満?
料理の量:少なめ

ポカポカ陽気で気持ちがよかったので部屋の整理をしてると、
5年ほど前に購入した非常持ち出しセットが見つかった。

まぁ要は地震などの災害発生時に、緊急支援物資が届くまでの
間どうにか生きていくための道具がまとまっているものだ。
具体的には自分の居場所をアピールするマグライトに笛、
雨露と寒さを凌ぐポンチョとブランケット、
熱を冷やすための簡易式氷嚢、
空腹を満たすための保存食と水、
気を紛らわせるためのトランプ、とこういう構成になっている。
(ただしアメリカ製?らしいので英語表記がほとんど)

ただしこの保存食、もちろん賞味期限というものがある。
その賞味期限をチェックしてみるとなんと「2007年3月20日」。
あれ、もうすぐ期限切れになってしまうやん!
もったいないから今のうちに食べとかんと!
と貧乏根性丸出しの焦燥感に駆られ慌てて食べました。

まずはクラッカーとピーナッツバターを賞味してみた。
なるほど、確かにお腹は膨れる。ただお味の方は・・・おいしいとは言えない。
ピーナッツバターが全然甘くないのだ。
まぁ非常時だし味よりも満腹感を優先するんだからしょうがないな、
と変に納得しながら次にレトルトパウチのチキンライスに挑戦!

画像にも載せているが、見た目も香りも全然食欲をそそらない。
恐る恐る食してみるとこれまたお味がよろしくない。
インスタント食品の方がまだ普通においしく食べられそう。
一応完食してみたものの、後でお腹がピーゴロロロロと大変なことに・・・。
ってか非常時に保存食べてお腹壊したらめっちゃ辛いやろ!

少なくともこれは日本人の口には合わなさそうである。
やっぱ保存食は国産のものに限るのかもしれない。

あーおなかいたいw

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ハト時計の窓(扉)

ハト時計のハトは定刻になれば窓(扉)を押し開けて飛び出てくる。
そして窓(扉)は押し開けるものだと思い込んでいる。

人生という迷路では、至る所に邪魔な扉のようなものが立ちはだかる。

押して開けるドア
ノブを引いて開けるドア
横に引いて開ける引き戸
暗証番号の入力を求める扉
暗号を言わないと開かない扉
ハンマーで叩き壊さないと開かない扉
扉に見えて実は堅固な壁
壁に見えて実は手ごたえのない「のれん」
ただのカーテン
自動ドアだと思ったらその前に落とし穴・・・

ケースバイケースで開ける方法が違ってくる。

ハト時計はそれを知らない。
一度、「窓(扉)とは押して開けるものなんだ」と思い込んだら、
次の扉もその次の扉も、同じように押し開けようとする。
結局うまく行かず、その扉が「引いて開ける」ものだと知った時、
今度は徹底的に「引いて開ける」ことに専念してしまう。

「前回これで開いたのだから今回もこの開け方だろう」
異様なまでの前例踏襲主義。融通が利かないのだ。
あるいは経験至上主義。物事の道理や理屈でなく
これまでの経験から最善(であろう)策を憶測するのだ。
道理と経験を天秤にかけた場合、道理をあっさり切り捨てる。
なぜならば考えなくてすむから。
「前回と一緒」という言葉だけで安心できるから。

ハト時計はこう考えているのかもしれない。
「行く手を阻む扉の開け方が全て同じだったら楽なのに」
「っていうか全ての扉の開け方は同じであるべきだ」

でもそれは試験のマークシートで全部Aに印をつけるようなもの。
まずそんな試験に合格するわけない・・・。
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ヲイゲンシュタイン1世

Author:ヲイゲンシュタイン1世
三十路以降パッとしない自分に幻滅中の2児の父親。
子供以上にカーズはまりつつある。
いや、カーズ以上にはまっているのはONE PIECEだが・・・。

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