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平等と共感の強要

他人と関わっていく中で、小生は平等と共感を相手に強く望んでいる。

たとえば、小生が相手のやることなすことに対して、文句を言わないとする。
その場合、相手にも同じように、文句を言ってほしくないと願う。
「こっちが文句言わないのだから、そっちも文句言うな」

あるいは相手の嫌な部分に対してガマンをしているとする。
この場合も、相手にも同じように、こちらの嫌な部分に対してガマンをしてほしいと願う。
「こっちがガマンをしているのだから、そっちもガマンしろ」

相手に拳を振り上げることはしない、当然これも相手にも望む。
「私はあなたを殴らない。だからあなたも殴らないで」

私が「平和」を欲せば、当然相手にも同じことを欲してほしい。
私が「怒らない」のだからあなたも「怒らない」でほしい。
私が「笑ってる」のだがらあなたも「笑って」いてほしい。

もちろん明示的な契約を結んだわけではないが、これをないがしろにされるとすごく不快感だ。
一方的に文句や、(些細なことも含めて)さんざん言いたいこと言われたりするとなおさらだ。
「こっちはこんなにガマンしているのに」とフラストレーションをためてやがてそれは憎しみに変わる。
ま、いわゆる「逆恨み」というやつだ。
(思い返せば逆恨みを生きるエネルギーにしてきた側面がある。学費のための新聞配達なんてまさにその骨頂だ)

「お前の考え方が単に身勝手なだけだろ」
そういう声が聞こえてきたりする。
理屈では理解できる。
ただし受け入れることはなかなかできない。
こちらとしては「対等な関係」を要求しているつもりなのだから
今の自分には、自分のルールを踏み破る存在が敵にしか見えない。
だから苦しい。
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怒り恐怖症

前々から何となく気になっていた自分の癖についてネットで調べてみた。
すると意外にも自分と似たような傾向を持つ人がいることが分かった。

カウンセリングサービス・無料相談コーナー:自分のとる奇妙な行動について
http://www.counselingservice.jp/backnumber/soudan12/478_2005515.html

上記リンク先の1番がそれに相当する。
テレビのニュースやドキュメンタリー番組で誰かが怒鳴っているのを見聞きすると、
すぐに別のチャンネルを変えたり、(チャンネルの決定権を持っていないときは)
別の部屋に逃げたり意識して見聞きしないようにしていた。
(映画やドラマの怒ってるシーンは演技なので最近は抵抗なく見れるが、それでも昔は苦手だった。)
もちろん教室や電車の中、職場など現実でも誰かが誰かに怒鳴られているのを見聞きすると
非常に不愉快で、自分が攻撃されているように感じ、しょんぼりする。

他人ですら自分のことのように感じるのだから、自分が直接怒られたときはこの比ではない。
言葉の意味・内容よりも口調・語気・表情・雰囲気を重視するので余計にきつく感じられる。
相手の怒りが強いときには死刑を言い渡されたのに等しいショックを受ける。

怒りの感情がこの世からなくなればいいのに、なんて中学生並みの発想すら浮かんでくる。

親、兄、先生、あるいは友達、上司などから怒られた経験は山ほどあるのに、
何故こんなに拒否感が強いのだろうか。


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ヲイゲンシュタイン1世

Author:ヲイゲンシュタイン1世
三十路以降パッとしない自分に幻滅中の2児の父親。
子供以上にカーズはまりつつある。
いや、カーズ以上にはまっているのはONE PIECEだが・・・。

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