スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「考える」と「考えない」

パスカルの「人間は考える葦である」という名言は馴染み深いが、
「考える」という行為が大嫌いな人間がこの世には存在する。
実は小生もその一人だった。

田舎の集落(主に農家主体)で育つと、考えるという局面に出会う機会がほとんどない。
なぜなら全てムラの慣習、ルールにさえ従っておけばよいからだ。
慣習に従って行動しておけばわざわざ考えて行動する必要がないのだ。
すなわち「なぜ?」を追究しようという発想が生まれない。

9年前、祖母の葬式があった。
小生は急遽大阪から地元に帰った。(といっても朝刊配達があるので日帰りだが)
田舎の葬式というのはある種の村のイベントで、村人ほぼ全員が実家に集まってきて
ありとあらゆる葬儀の準備を行う。
しかも当時はまだ土葬で、小生などの若い衆が白い割烹着?のようなものを着用し、
棺桶をつるした竹ざおを担いで墓場まで歩いていく。
男手4人がかりで運ぶわけだが相当重い。新聞配達で足腰鍛えていた小生もさすがにきつかった。
途中で実兄がダウンし、従兄弟と交代していた。
墓場の近くにはシングルベッドの大きさほどはある石の台があり、その周りを3周しろと指示される。
その後石の台の上に棺桶を置き、読経が終わったら後は土葬作業に入るのだが、
それは村人の墓守担当にお任せする。
一連の光景を都会人が見たら「ええー、ここは昭和初期か?」と思うかもしれない。

そもそも石の台の周りを何故3週する必要があるのだろう?
こんな疑問が今頃になって湧いてきた。
ただ当時は小生も含めだれも疑問には思わなかった。
おそらくこんな質問をしても皆「分からない」と答えるだろう。
逆に質問したら「なんでそんなこと気にするの?」と返される可能性がある。

近年になってから数珠ってどういう意味があるの?と親に聞いたことがる。
しかし納得できる答えは返ってこなかった。
「さぁそんな難しいことよぉ分からんわぁ。でも皆持ってはるさかい・・・」
更に親は近所の人にも聞いたらしいが全員口をそろえて「分からない」ということだった。
またお盆の供物についても尋ねてみたが、こちらも同様の答えが返ってきた。
とりあえずカタチだけは整えておこうということなのだろうか?

都市部の人は一つ一つの理由や謂れを気にして確認するが、
田舎(農家)の人はただひたすらカタチを受け継ぐことに終始しているようだ。
それを悪い!と言うつもりは毛頭ないが(中にはカタチを受け継ぐことが一番大事と考える人もいるだろう)
少なくとも「考える」という行為を放棄させてしまう原因の一つではないかと思うようになった。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
RSSフィード
リンク
このブログをリンクに追加する
ランニングChammy
プロフィール

ヲイゲンシュタイン1世

Author:ヲイゲンシュタイン1世
三十路以降パッとしない自分に幻滅中の2児の父親。
子供以上にカーズはまりつつある。
いや、カーズ以上にはまっているのはONE PIECEだが・・・。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。