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罪と罰、批判と無価値

小学校に入る前のころだったと思う。
小生は家の部屋の壁にマジックで落書きをした。
ちょうど兄が親とともに病院に行ってる時で、
凸形の病院を描きそこに矢印と兄の名を滅茶苦茶な
ひらがなで書いたような気がする。
そして兄と親が帰ってきてから当然のことながら怒られた。

・壁に落書き⇒まだ何も知らないからやっても不思議ではない、が行為自体は悪いこと。
・その後怒られる⇒悪いことをしたのだから怒られて当たり前。

抽象的に言い換えれば
 悪いことをするのは[罪]であり、その後怒られるのは[罰]であるということ。
 罪を犯せば罰が下る。同じ罪を犯さなければ罰はくだらない。
 因果応報という言葉を持ち出すまでもなく明らかなことだ。

だがハト時計は誤った解釈を持ち続けていたように思う。
 悪いことをするのは、ただの[行動][手段]であり、
 その後怒られることこそが[罪]であり[罰]でもある。
 [罰]がくだること=[罪]だともいえる。

罪を犯さないための行動を起こし、罪を犯す行動を慎むようになった。

 逆らわない。反抗しない。
 文句を言わない。意見を主張しない。
 誰の味方もしない。しかし誰も嫌わない。
 いつもニコニコ。平身低頭。
 付和雷同。右に倣え。
 事なかれ主義。日和見主義。
 平和主義。中立主義。
 暴力反対。口論反対。
 プライド軽視、協調性重視。
 みんな仲良く。相互主義。
 和を以って尊しとなす。常に他人から認められたい。

そして[罪][罰]の範囲が徐々に拡大していく。
他人から批判されることも[罪][罰]と認識するようになる。
専門学校に通っているとき、クラスメイトから言われたことがある。
「ヲイゲン君はダメ出しされんの苦手やなぁ」

ダメ出し、批判、異常なまでに大嫌いである。
ダメ出しされる自分、批判される自分は「価値がない」と思うから。
褒められる、賞賛される自分こそが「フツーで価値がある」と思うから。
(逆に言えば、他人ごときがこのオレサマを批判するとは何事!という思い上がりがあったのかもしれない)

上司から理不尽な命令がくだったとする。
理不尽な命令をこなすのはイヤだ。
しかし拒否して非難されるのはもっとイヤだ。
双方の[イヤ度]を天秤にかけ、軽い方を現実的行動として選択してきた。

要は長いスパンで物事のプラスマイナスを見極められなかったのだ。
理不尽な命令なら拒否してもよかったのだ。
最悪周囲の人間と決別し、新たなフィールドを求めればよかったのだ。
しかし周囲との迎合・融和をよしとする価値観が邪魔をする。
「自分の考えが無条件で間違っているのだから周りに合わせよう」
(ハト時計は時としてそれを「譲歩」と謳うことがある)
それこそ本当の[罪]ではないのか?

他人からの批判=自分が無価値であることの証明、というマインドコントロールをどうすれば払拭できるのか。
その前に思い込みでガチガチになった頭脳をほぐす必要がある。
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Author:ヲイゲンシュタイン1世
三十路以降パッとしない自分に幻滅中の2児の父親。
子供以上にカーズはまりつつある。
いや、カーズ以上にはまっているのはONE PIECEだが・・・。

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